先日東京国立博物館にて「国宝 土偶展」を見てきました。
正直,行くまではそれ程乗り気という訳でもなく、友達が誘ってくれたのだから,まあ行ってみよう,位に考えていたのですが,これがあにはからんや,非常に面白い体験だったので簡単にご紹介を。
まず、お値段800円で土偶展+常設展も観覧可能。このご時世にあって非常にコストパフォーマンス高いです。ありがたや。
中に入ると土偶展は1部屋のみ。ちょっと規模が小さいかとも思ったのですが,所々にある解説も分かりやすく,不満に思うほどではないかと。
僕は日本史の勉強が基本的に中学で止まっているので(高校では日本史の授業がなかった…),縄文,土偶については全く無知と言ってよく,掲示されている解説一つ一つがとても新鮮でした。
・縄文時代が今から約16,500年前から約3,000年前くらいだったこと
・土偶の分布が時代によってかなり異なること
・土偶の使用例(一部が折り取られているもの,子供の骨が入っているもの)
・土偶の殆どが女性モチーフであること
などなど。
何故ここまで心動かされたのか不思議なのですが(DNAが騒ぐのでしょうか),何というか,そのバックグラウンドに圧倒された,という感じ。
我々の2000年紀を遥かに超えるスパンの中で,我々よりおそらくだいぶ短い寿命を生き,彼らは何を考え,これらの物々を作り,使ったのか。今から1万年後,我々が目にしているもので残っているものは何なのか。何てコトも考えてしまいました。
日本でこれらのものが作られていた時,世界はどのようであったのか。そんな視点があれば,更に面白かったのですが…それは自分で調べれば良いのでしょうか。
一方,常設展では様々なテーマで日本の芸術品が展示されています。
仏像,書画,鎧や刀剣…通してみると,日本の芸術において「仏教」が如何に大きな比重を占めているか実感。西洋においてもキリスト教の影響は至る所に見られますが,日本でも宗教の存在は避けて通れないものですね。
土偶についても,そこには宗教以前の何か、日々の暮らしとは別のものへと思いを馳せる「精神性」を感じます。
生きるだけであれば本来必要ないはずのその「何か」。僕はそこに惹かれます。出来ればそれを考え続け,そして少しでも近づきたい。
そんな思いの原点に触れるような体験でした。
自らの中に縄文の血を感じる人は是非。
(弥生系の方々にはピンと来ないものなのかもしれませんね^^)
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