一週間経ってしまったので今更感は否めないですが、ま、それはそれ。
海外マンガ、アニメと言えば、のスカポン太さんがブログでまとめられているので
レポとしてはあちらの方が詳しいかも知れません。
はてさて。
お目当ては、wakfuシリーズ2本の上映と特別編2本の上映、あとは画集でも買えればと思って行ってきたんですが、こちらは品薄で手に入らず…
事前スケジュールより30分近く早く上映が始まったり、ちょっと企業イベントとしては緩い感じでしたね。
上映は日本語字幕のお陰で細かいニュアンスもだいぶ分かり楽しめました。日本の著名スタッフも参加して作った特別編は本編とはまた違ったベクトルで非常に見応えありましたし。
正直Dofusというゲームもwakfuの世界観もきちんと把握していないので、設定絡みの展開部分はちんぷんかんぷんでしたけど、初見層にも十二分に訴求力のある作品だと思います。
是非メディア化を!!
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さて、その上映の後に制作会社Ankamaのスタッフとシリーズ監督のOliver氏、
上記特別編監督の高橋さんを交えての日仏アニメゲーム事情についての
カンファレンスがあり、これが非常に考えさせられるものだったので
今年初の記事を起こしてみた次第です。
<以下印象的だった発言まとめ>
(うろ覚えメモと僕のフィルターを介しているので若干ニュアンス怪しいかもです)
<日仏のアニメ制作事情の比較>
◇高橋さん
・日本のアニメ制作現場の閉塞感と若い Ankama スタッフの元気の良さの対比
・現在の日本アニメは円盤(DVD/BD)を売るためのアニメとして存在している
(かつてはおもちゃを売るためのものだった)
・現場に求められているのは「所有欲を掻き立てるようなアニメ」
ただ見られるだけでなく、手元に置いておきたくなる付加価値が必要とされる。
◇Oliver氏/Ankamaスタッフ(多分)
・認知度(や売上も?)ラテン語圏以外ではまだまだ
・Ankamaはマンガ、アニメ、ゲーム全部インハウスで450人規模、平均25歳
・Ankamaはまず「世界」を作ろうとしている(ゲームデザインとして
wakfuアニメもゲームでの成功がまずあって、そのファンに向けて作ったもの
・国の保護(文化事業への補助金を制作に利用、
フランスの文化政策で国産のものが一定の割合になるよう重用される
・日本でのアニメ展開も視野に入れているが、既に完成しているものを
現状のTVOAフォーマットに載せるのは難しい
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高橋監督の「所有欲を掻き立てるようなアニメ」という表現。
ただ映像作品として優れているだけでは足らなくて、TVやネットなど一次メディアでは得られなかったもの(初回特典のグッズだったり、湯気やT光の下の何かだったり…)を円盤を購入することで手にする、ことを欲求させる、ということでしょうか。
ただ、それを作ることに現場(の少なくとも一部)は閉塞感を覚えているということも重要だと思います。
現場が好きに楽しく作ったものが必ずしも観る側、お金を出す側の欲求に見合うとは限らないのは承知しているつもりですが、ドラゴンボールやグレンダイザー(ゴルドラック;何度も連呼してたのでホント好きなんだろうな、と)を見て、それに憧れて会社を作ったという人たちの作った映像が、これだけ元気に満ちているのを見るとこの対比はとても印象的でした。
<アニメが世界中で見られるために必要な普遍性とは?>
(日本のアニメが世界で受け入れられている普遍性の根拠は?といった感じだったかも)
◇高橋さん
・動いてる絵があるとつい見ちゃう/CGが動くのとは何故か違う
・日本が唯一(最初に?)、その動いている絵を早く安く大量にTVに供給することができた
→結果として世界中に広まった
・最近は逆に、映像を見るための基礎知識や技術、約束事が増えてきて、
作品を理解するための文法が作品の外に広がっている。
このままだと海外で理解されず売れなくなる…と思いきや、意外に売れ続けてる
→世界には日本の漫画、アニメの文法を理解する人々が少数ながらも遍在していて、
そこがマーケットとして機能している(この辺だいぶ主観混じってるかもです)
・がしかし、今の日本アニメを理解する人たちに向けて喜ばれるものを作ることが
普遍性のあるものを作ることになるのか、そこは疑問、バランスの問題か
◇Ankamaスタッフ
・フランスでは動画は常に動いていなければならなかった。ストップモーションは未完成と思われる。フランスには動きのない能はない。
⇒多少コマ落ち(一秒間に動く絵が8枚とか;3コマ作画の場合)してても
動いてることにしちゃう日本アニメとの対比のことかと。
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広く世界に受け入れられるには、普遍的な何かがなくてはいけない、という思いが
質問の根底にあったのだと思います。
そして、おそらく殆どの制作者にとってはどこかでこの普遍性を求める意識があるとも。
(それは良い悪いでなく、普遍とはそういうものだからですが)
これに対しての高橋監督の答えが、またドライで面白かったのと、
現状のドンドンと特殊化する作品とその世界的受容に対して、
普遍性とはちょっと違うのかも、という感覚がこれまた印象的でした。
普遍性を追求するのか、特殊性を突き詰めるのか⇒特殊の少数偏在は普遍足りえるか
という考え方はすぐに答えの出るものではないにせよ、改めて考えてみたいテーマです。
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とまあこのように、予想以上に制作者側にとっても実りの多いイベントでありました。
Ankamaに留まらず、いろんな国の作品ともっと触れる機会が増えてくると良いですね。
アニメを理解したいがためにフラ語を勉強しだした人間がここにいるくらいですから、
なかなかどうして、文化交流としても有力だと思うのですよ。
アニメを理解したいがためにフラ語を勉強しだした人間がここにいるくらいですから、
なかなかどうして、文化交流としても有力だと思うのですよ。
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